母の心

母（はは）の心（こころ）
大野孤山
明治十五 (1882) ～昭和三十 (1955)

溽暑湘南未遽収

弦月照窓情益切

數指思兒今何處

蚊張見月焦心色

兒兮有心對此月

想見月下母親心

流星雲漢牽牛寂

波遠江心不可見

思入愁情妨就眠

深夜澄耳呼母聲

溽（じょく）暑（しょ）湘（しょう）南（なん）未（いま）だ遽（にわ）かに収（おさ）まらず

弦月（げんげつ）窓（まど）を照（て）らして情（じょう）益（ますます）切（せつ）なり

指（ゆび）を数（かぞ）えて思（おも）う児（じ）や今（いま）何（いず）れの処（ところ）ぞ

蚊（ぶん）張（ちょう）月（つき）を見（み）るにも焦（しょう）心（しん）の色（いろ）

児（じ）や心（こころ）有（あ）らば此（こ）の月（つき）に対（たい）して

想（おも）い見（み）よ月（げっ）下（か）の母親（ははおや）の心を

星（ほし）は流（なが）れ雲漢（うんかん）牽（けん）牛（ぎゅう）寂（さび）し

波（なみ）遠（とお）くして江心（こうしん）見（み）るべからず

思（おも）い入（い）る愁（しゅう）情（じょう）就（しゅう）眠（みん）を妨（さまた）げ

深（しん）夜（や）耳（みみ）を澄（す）ませば母（はは）を呼（よ）ぶの声（こえ）

湘南地方のむし暑さはまだ急におさまらない。
病窓を照らす三日月を仰いでは、切々と子を思うのである。
行方知れずになった日を、指折り数えては、今は何処にいるのかと心配する。
蚊帳の中から見る月は心を悩ませてやまない。
子よ、心があるのなら、この月を見て心配している母の心を察しておくれ。
星は流れ、雲の上の牽牛星もさびしげに見えるが、天の川は遥かに遠く、其の心は知る由もない。
心配のあまり眠れぬままにいて夜も更け、耳を澄ませると、その耳に母を呼ぶ声が聞こえてきた。