うららかな春の日の庭園を散策していると、同じように庭園で楽しく遊んだ都での昔のことが思い出されて悲しみが見がこみ上げてくる。 今、ここで同じ春の日に、同じく花を見、鳥のさえずりを聞いてはいるが、楽しいごころか、かえって辺地にある身の愁いが増すだけである。 そして、この湘江の水が、北、都の方へと流れてゆくのとは違い、南のほうへとさらに遠く流されて行く都出身のわが身を、一人自ら憐れむばかりなのである。