山中の静まりかえった夜明けの草堂に独り座していると、どこからともなく、仏法僧と鳴くこのはずくの声が聞こえてくる。 鳥は無心に鳴いているが、人には感ずる心があって、その声に、仏の迦陵頻伽の声もかくばかりと思われるのである。 そして、鳥の声と人の心が感応し、雲水にとけあって、永久不変の真理を看得されるのである。