「嗚呼忠臣楠子之墓」 と刻まれた墓石が摂津の湊川の畔にある。
この石を建立したのは、徳川光圀公であるが、この墓前で感涙する者は何人いることであろうか。
かって楠公は献策を入れられなかったとき、あえて怨みを述べることなく、賊軍追討の御命令を頂いて湊川へと出陣した。
陣営から兵庫の西を見れば、五十万の賊軍の上げる土ぼこりが天まで舞い上がっている。
楠公はわずかに七百の手兵を率いて、血戦の中での討ち死にを願って、 「七たび人間に生まれて国賊を斃そう」 と忠義の心の溢れることばを捧げて、正季と共に刺し違えて死んだ。
それゆえ湊川乃流れは永遠に楠公を思い咽び、武庫の山はいつまでも楠公の行為を見て忘れることがないのである。
このように昔から楠公の忠魂は明々白掃々として残っているのに、近頃悲しく思うのは、国民の生気が衰えてきていることである。
あたかも勤皇報国の心をすべて忘れてしまっているかのようである。
このように世の中が正しい道から外れて来ていることを誰に向かって訴えたらよいのだろうか。
こう思うにつけ、なくまいと思っても涙が流れてくるのをどうしようもできない、この忠臣楠子の墓である。
|