いく 宿しゅく
菅 茶山
寛延元 (1748) 〜 文政十 (1827)

千歳恩讐兩不存

風雲長為弔忠魂

客窓一夜聽松籟

月暗楠公墓畔村
千歳せんざいおん しゅう ふたつ ながら存せず
風雲ふううん とこし なえにためちゅう こんとむろ
客窓かくそう いち 松籟しょうらい
つきくら楠公なんこう はんむら

千年もの長い年月を経た今、かって南朝・北朝と敵味方に分かれて戦ったあとも消えて、大空を吹く風と、たなびく雲のみが、いつまでも忠臣楠公の英魂を弔っているのである。
わたしは旅の一夜を湊川古戦場に近いこの生田の地に宿り、感慨はことに深かった。
夜、松風の音を耳にして外を見やれば、月影は暗く楠公の墓畔のこの村を寂しく照らし出していた。