明治戊辰の役に、会津藩の少年達は、奮起団結して白虎隊と名づけ、会津藩の一大事に際し、そのとりでを守 ったのであるが、官軍は突如として風雨のようにはげしく押し寄せてきた。
殺気は天に漲り、昼なお暗いという有 様である。
両軍の打ち鳴らす陣太鼓は百雷の如く響き、打ち抱く大砲の弾丸は雨霞の如く飛来し、屍はたちま ち山をなす状態である。
少年達は決死の覚悟で敵陣に投入し、髪は怒りに燃えて逆立った。
天をも衝く勢いで 縦横無尽に奮戦し、やっと一方に血路を開いた。
しかし戦況は我に不利となり、奮戦しながら退却した。
隊士達 はいずれも身に受けた傷口を繃帯でつつみ、口は気け付薬を含んで、さていずこへ行こうかと見れば、前後皆 敵軍である。
刀を杖によろめきながら、間道づたいにようやく飯盛山へとよじのぼった。
南の方鶴ケ城を望めば砲 火に包まれて黒煙が上がっている。さては落城、我らの希望も消え失せたかと、一同声を上げて泣き、涙を含み 、あたりをさまようしかなかった。
ああ、わが藩もこれで亡びたのだ、我らのつとめもこれまでと、十九人の少年は 皆腹かき切って僵れたのであった。
この事件があって十七年の歳月は流れたが、世の人々今なお俯してその 死を悲しみ、仰いでその忠節をたたえ、これを画にし或いは文にして、盛んに世間に伝えている。
まことにその 忠烈の精神は太陽の如く光かがやき、あたかも当時のあの姿のままである。
かの斉の田横に殉死したという、五 百人の家来の忠義心に劣らぬばかりか、それおも圧倒しているのである。
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