自
ら 遣
る (一)
江
馬
細
香
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一
夢
匆
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有
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一夢匆匆半百人
幽懐縷縷暗愴神
月虧月満望兼朔
花落花開秋又春
會写画疑手猶別
已看書覚眼重新
此身所願唯無恙
猶有高堂老病親 |
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天保五年 (1834) の作。四十八歳。
五十年の私の人生は、あたかも夢の如くにあわただしく過ぎ去ってしまった。人にも打ち明けられぬもの思いが次々と起こり、ひそかに心は悲しみにふさがれる。
月は欠けては満ち、十五夜かと思えばもう朔日 (ツイタチ)
がめぐってくる。花が散ってはまた花が咲き、秋が来たかと思えばまた春が来る。
自分の書いた画を見ても別の人が書いたものかしらと思い、一度詠んだはずの書がまた初めて目を通すように思われる始末。
今の私にとって願い事はただ、無病息災であることだけ。まだ私には家に老いて臥せっている父親がいるのだから。
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○一夢==半生は一つの夢にすぎないとみた言葉。
○匆匆==あわただしいさま。
○半百==百年の半ばを過ぎた。五十歳の意。
○幽懐==心の奥深く秘めた思い。
○縷縷==思いが次々と尽きずおこるさま。
○望兼朔==望は陰暦で月の十五日、朔は一日。兼は並列の関係を示す。和、与に同じ。
○高堂老病親==高堂は親の居る間で、父母の意にも用う。老病の親はこの年八十八歳の蘭斎をいう。
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