紫
史
を 読
む
江
馬
細
香
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誰執?菅写情事
千載読者心如酔
分析妙処果女児
自与丈夫風懐異
春雨剪灯品百花
惜香憐玉自此始
銀漢暮渡烏鵲橋
仙信暁逓青鳥使
瓠花門巷月一痕
蝉蛻衣裳灯半穂
夏虫自焚投焔身
春蝶狂舞恋花翅
狸奴無頼?簾揚
嫦娥依稀月殿邃
尤雲?雨寸断腸
冷灰残燭偸垂涙
五十四篇千万言
畢竟不出情一字
情有歓楽有悲傷
就中鍾情是相思
勿罪通篇事渉淫
極欲説出尽情地
小窓挑灯夜寂寥
吾儂亦擬解深意 |
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誰
か?
菅
を執
りて情
事
を写
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千
載
読
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し
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するは果
たして女
児
自
から丈
夫
と風
懐
異
なる
春
雨
灯
を剪
りて百
花
を品
す
香
を惜
しみ玉
を憐
れむは此
自
り始
まる
銀
漢
暮
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る烏
鵲
の橋
仙
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る青
鳥
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瓠
花
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巷
月
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痕
蝉
蛻
衣
裳
灯
半
穂
夏
虫
自
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に投
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春
蝶
狂
い舞
う花
を恋
うる翅
狸
奴
無
頼
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揚
る
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依
稀
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る
五
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四
篇
千
万
言
畢
竟
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字
より
情
に歓
楽
有
り悲
傷
有
り
就中
鍾
情
なるは是
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思
罪
むる勿
れ通
篇
事
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ると
極
めて情
を尽
くす地
を説
き出
ださんと欲
す
小
窓
灯
を挑
げれば夜
寂
寥
吾
儂
も亦
深
意
を解
らんと擬
す |
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天保五年 (1834) 四十八歳頃の作か。
『源氏物語』 を詠み終えて長古を賦す。紫史は紫式部の 『源氏物語』 のこと。苦心の作ではあるが、手稿は失われている。
一体どのような人が赤い筆を執って、愛情の諸相を描いたのであろうか、長い年月の間読む者の心は、酒に酔ったように魅せられて来た。
微妙な人の心を細やかに書き分けたのはやはり女性であって、そのゆかしい心がおのずと男性とは異なる由縁である。
春雨の降る夜のつれずれに、灯火をかきたてながら女性たちの品定めをした、この時から源氏の君は多くの女性の色香に憂身をやつすこととなった。
天の川にかささぎのかけた橋を渡って逢瀬を持った織姫と牽牛のように、しのび逢う夕暮。その明くる朝には、後朝
(キヌギヌ) の文を携えた源氏の使いが女君のもとを訪れる。
夕顔の花咲く町にてながめた月の姿。夜更けの火影に抜け殻のように脱ぎ捨てられて空蝉の小袿
(コウチキ) 。
恋に身をやつす男の心は、さながら炎に身を投げ我と我が身を焦がす夏の虫。或いは花を恋い慕い、狂い舞うが如く羽をはためかせる春の蝶。
いたずら者の猫がみどりの御簾 (ミス) を引き上げて、中にいた女
(ヒト) の姿をあらわにしてしまう。一方月の女神はその姿をくらまし、遠い月の御殿の奥深くにこもってしまわれた。
甘美な逢瀬の故に、男は腸 (ハラワタ) も断えんばかり悶え苦しみ、愛する人を失っては情熱も冷めはて、夜更け、消えかかった灯火のもとで独りひそかに涙をこぼす。
五十四帖、千万言ものこの物語に描かれているのは、結局 「情 (ココロ)
」 の一字よりほかにない。
人の情 (ココロ) には喜び楽しみもあれば、また痛み悲しみもある。中でも最もその思いがこもるのは、人を恋い慕うこころ。
全篇色事ばかりにかかわっているなどと咎めることはない。これこそ最も、人がその心を尽くす場を描き出そうとしているのだから。
小さな部屋の窓辺で明かりをかきたてながら起きていると、夜は淋しく更けてゆく。私もまた、彼女の説かんとした深遠な意味を解き明かそうと思う。
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○?菅 (トウカン) ==後宮の記録をつかさどる女官が用いた赤い軸の筆。
○情事==人の情のはたらき。
○心如酔==心が酔ったようになる。
○妙処==言葉に表し難い素晴らしいとこと。
○丈夫==一人前の男。
○風懐==風流な心。
○春雨剪灯品百花==剪灯は灯心を切って火をかきたてる。夜を徹するの意。百花は多くの美女たちに例える。
『源氏物語』 「帚木」 の雨夜の品定めを指す。
○惜香憐玉自此始==玉を愛し香に心ひかれる。玉、香は女性にたとえ、女性との色恋を比喩的に表現する。
雨夜の品定め以後、源氏の女性遍歴が始まったことは、 「夕顔」 の巻きに 「ありし雨夜の品定めののち、いぶかしくおもほしなる品々のあるに、いとど隅なく御心なめりかし」
。
○銀漢・烏鵲橋==銀漢は天の川。七夕の夜、烏鵲 (カササギ)
が列をなして橋をかけ、織女星が河を渡る助けをする。
○仙信暁逓青鳥使==仙信は仙人の手紙。逓は伝える。青鳥は西方の西王母の山にいる青い鳥。
○瓠花==ゆうがお。
○門巷==門の前の通り。夕顔のいた五条あたり。
○月一痕==ぽっかり浮んだ月の姿。
源氏は中秋の名月の夜、夕顔の家に宿り、その明け方彼女を某院 (ナニガシノイン)
に誘 (イザナ) った。
○蝉蛻==蝉の抜け殻。
○夏虫・春蝶==朧月夜との危険な恋や藤壺への許されぬ恋に身を焦がす光源氏を喩え、さらに三の宮にこがれる柏木を重ねて行く意であろう。
○狸奴・無頼==いたずら者の猫。
○?簾 (ショウレン) ==あさぎ色の御簾。
○嫦娥依稀月殿邃==嫦娥は太古の弓の名手? (ゲイ) の妻。ゲイが西王母よりもらった不死の薬を盗み飲んで、月ののぼり仙女となった。依稀はぼんやりするさま。月殿は月の御殿。この句は源氏の六条院の奥深くにいて、柏木にとって再び逢い難き人となった女三の宮をさすものとも、源氏を残し遠いあの世に去ってしまった紫上を指すものとも読める。
○尤雲?(テイ) 雨==寄り添い、しなだれかかるような雲と雨。
楚の懐王が夢の中で巫山の女神と契り、去る時女神が自分は朝には雲となり夕には雨となって陽台の下にいる、と言ったことにもとづく。
四字で男女の情交をいう。
○寸断腸==腸 (ハラワタ) がちぎれちぎれになるほどつらい思いをすること。
この句、女三の宮とのはかない逢瀬の後、悩み苦しみ死んでしまった柏木や、薫大将とも匂宮とも契り、二人の愛の板挟みになって自殺を図った浮舟など、恋に身を滅ぼした主人公たちを指していう。
○冷灰==冷たくなった灰。感情や欲が冷めた状態をいう。
○残燭==消え残る灯火。眠られぬさまをいう。
○偸垂涙==偸は人知れず。
この句、紫上を失った源氏や、浮舟を失った薫らのことを指していうか。
○五十四篇==源氏物語の総帖数。
○千万言==千万は非常に多い意。
○鍾情==喜怒哀楽の感情が集中する。
○相思==人をう気持ち。片思いでも相思という。
○渉淫==渉はかかわる。淫はみだら。江戸時代初期の宋学者や厳格な儒者たちにとって 『源氏物語』
が淫書として、おとしめられていた。
○極==もっとも。よく。
○尽情==心情をつくす。
○挑灯==灯火をかきたてる。
○擬==欲する。
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