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列媛詩選今在箱
研朱題贈短文章
癡才弟子非金逸
授業先生是小倉
付尾他年悲失驥
臨流竟日似無航
尤思海外媒酬唱
三度紅箋賦彩鴦 |
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天保三年 (1831)
の作。四十六歳。同年九月二十三日、結核を患い病床にあった頼山陽が終に没する。享年五十三。
先生が下さった閨秀詩人達の選詩集は今もこの箱にしまってあります。先生は朱墨をすり、小文を記して贈って下さいましたね。
おろかな弟子は金逸のようにはとても参りませんが、教えて下さった先生は確かに袁随園に劣らぬ方でした。
pお後に従って長年励んで参りましたのに、その先達を失った悲しみははかりしれません。川を前にして渡る舟もなく一日中たたずんでいる、そんな気持ちでございます。
とりわけ有り難く思い出されるのは、海を隔てた清国の方との詩のやりとりのなかだちをして下さったおかげで、紅い紙に認めた鴛鴦の詩を三度もうたうことができたことです。
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○列媛詩選== 『随園女弟子選選』 のこと。清の袁枚 (エンバイ)
がその女弟子金逸、席佩蘭 (セキハイラン) ら二十八名の詩を集めた
『随園女弟子選』 を江戸の大窪詩仏がさらに選し、 『随園女弟子選選』 と題して、文政十三年
(1830) 五月開版、刊行した。頼山陽は詩仏より寄贈されたこの本を
「丁度貴処に有てよろしきもの」 と、細香に譲った。かねてより山陽は細香に詩集上梓を勧めてきたが、こ集を見るに及んで一層熱心に上梓を実現させようとする。
○癡才==才能に乏しくおろかなこと。
○金逸==金は繊繊。蘇州の人。袁の女弟子の一人。詩才に恵まれていたが、二十五歳の若さで世を去った。
○小倉==江蘇省江寧県の北にある山。袁枚は居処をここに築き、その室を小倉山房と名付けた。
○付尾他年悲失驥==後進の者が優れた者につき従って見習うこと。蒼蝿が駿馬の尾にくっついて千里の道をも行くことができる、との喩えから。
『史記』 伯夷列伝に 「顔淵篤学と雖も、驥尾に附いて行益ます顕わる」 。
○臨流無航==世間を渡って行くすべのないことを、黄河を前にして渡る舟のないさまに例える。
○竟日==終日。
○尤思・三度の二句==文政二年から十三年の間、三度にわたって清の商人江芸閣と詩の唱酬をしたこと。
○紅箋==紅色の箋紙、レターペーパー。
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