吟剣詩舞漢詩集  西郷隆盛漢詩集  吉田松陰漢詩集
江 馬 細 香 漢 詩 集
『江戸漢詩選 (三) 女 流』 発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:福島 理子 ヨ リ

2008/02/02 (土) 辛卯十月余居内艱、以其為後母俗喪稍短。雖服已除不堪其戚、賦此書哀

しん ぼう じゅう がつ われ ない かん る、こう るをもつぞく そう みじか し。
ふく すでのぞ くといえうれ いに えず、
これ してかな しみをしょ
    さい  こう 

われ むと われやしな うと
おん いず あつ
かい さん ねん あい しといえど
じゅう さい ちゅう がん くることひさ
あた かもかん きゅう ぼくまと うがごと
らずわれ むにべつはは りしとは
いつ たん えい けつ してゆう めいへだ たる
そう てん ゆう ゆう としてけつ るい あふ
おん よう まさみみまなこ るがごと
いく たびこん おどろやす
しん いん しょう じょう としてかぜ まくひび
うたがちん じょう われこえ ならんかと
生余与鞠余
慈恩孰与厚
懐裏三年雖無愛
四十歳中承顔久
宛如甘瓠纏樛木
不知生余別有母
一旦永訣隔幽明
蒼天悠悠血涙横
音容正如在耳眼
夢寐幾度魂易驚
深院蕭条風響幕
猶疑枕上喚余声
天保二年 (1831) の作。四十五歳。
以前より病床にあった継母、佐野が病没する。細香の実母乃宇 (ノウ) は寛政元年 (1789) 、細香三歳の時、次女柘植子を産んだ後に二十五歳の若さで世を去った。
やがて父蘭斎はけ継室として、大垣藩山本宇兵衛良敬の娘佐野を迎える。
彼女は細香、柘植子姉妹を我が腹を痛めた子の如く、慈しみ育てた。

私を生んでくださった方と、私を育てて下さった方と、どちらが慈愛の心が深い言えるだろう。
父母の懐に育まれる最初の三年間、愛を受けるということはなかったけれども、四十年も長い間母君にお仕えしたのだった。
枝の曲がった木にひさごがまとわりつくようにお慕いし、別に私を生んだ母親があろうとは思いもよらなかった。
ある日突然永久の別れとなり、この世とあの世に離れてしまった。青く広がる遥かな天を仰ぎ、血の涙をほとばしらせる。
今でもお声をみみにし、お姿が目にうつるような気がしてならず、まどろんで夢を見ているときにも、幾度もふと胸がさわぐ。
しんと静まった中庭に風が吹きすぎて窓のとばりをはためかせる音を聞くと、今も枕もとで私を呼んでおられる声がしたのではないかといぶかってしまう。

○内艱==母親が亡くなること。
○俗喪==通例の喪の期間。
○服除==忌があける。
○鞠==養い育てる。
○慈恩==いつくしみ。
○孰与==どちらが。
○懐裏三年==父母の懐の中で過ごすこ幼年期の三年間。
○承顔==子が親の顔色をうかがって気に入るようにする、即ちその意を察して孝養をつくすこと。
○甘瓠==ふくべ、ひさご。つるが生える。
○纏==まつわる、からまりつく。
○樛木==枝が曲がって垂れている木。
○一旦==ある朝、転じて一たび、忽ち。
○永訣==永遠の別れ。死別。
○隔幽明==死後の世界と人間の世界とに遠く離れる。
○蒼天悠悠==はるかな青空。
○血涙==血の涙。
○音容==声と姿。
○在耳眼==耳には声が聞え、目には姿が見える。
○夢寐==眠って夢を見る。また、その間。
○魂驚==夢の中で魂が驚く。目がさめる。
○深院==奥にある中庭。
○蕭条==ものさびしいさま。
○幕==窓のたれ絹、カーテンの意。

『江戸漢詩選 (三) 女 流』 発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:福島 理子 ヨ リ