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                            | 生當雄圖蓋四海 死當芳聲傳千祀
 非有功名遠超群
 豈足喚爲眞男子
 俊師膽大而気豪
 憤世夙入祇林逃
 雖有津梁無處布
 難奈天下之滔滔
 惜君奇才抑塞不得逞
 枉方其袍圓其頂
 底事衣鉢僅潔身
 不爲鹽梅調大鼎
 天下之溺援可収
 人生豈無得志秋
 或至虎呑狼食王土割裂
 八州之草任君馬蹄踐蹂
 君今去向東海道
 到處山河感多少
 古城殘壘趙耶韓
 勝敗有跡猶可討
 參之水  駿之山
 英雄起處地形好
 知君至此気慨然
 當悟大丈夫不可空老
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                            | 生 
                              きては當 
                              に雄 
                              圖 
                              四 
                              海 
                              を蓋 
                              うべし 死 
                              しては當 
                              に芳 
                              聲 
                              千 
                              祀 
                              を傳 
                              うべし
 功 
                              名 
                              遠 
                              く群 
                              を超 
                              ゆる有 
                              るに非 
                              ずんば
 豈 
                              喚んで眞の男子 
                              と爲すに足らんや
 俊師膽大にして気は豪なり
 世を憤り夙に祇林に入って逃る
 津梁有りと雖も布くに處無し
 奈ともし難し天下の滔滔たるを
 惜む君が奇才抑塞して逞うするを得ず
 枉げて其の袍を方にし其の頂を圓にせるを
 底事ぞ衣鉢僅かに身を潔くし
 鹽梅と爲つて大鼎を調えざる
 天下の溺は援いて収む可し
 人生豈志を得るの秋無からんや
 或は虎呑狼食王土の割裂するに至らば
 八州の草は君が馬蹄の踐蹂に任さん
 君今去つて向う東海道
 到る處の山河感多少
 古城殘壘趙か韓か
 勝敗跡有り猶討ぬ可し
 參の水  
                              駿の山
 英雄起る處地形好し
 知る君此に至らば気は慨然
 當に悟るべし大丈夫空しく老ゆ可からざるを
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                | 語 釈 | 
               
                | 
                     
                      | ○雄圖==すぐれて大きなはかりごと。○蓋四海==四海は天下。天下をおおい圧する程にすぐれていること。
 ○芳聲==かんばしい声。芳名と同じ。
 ○千祀==千年。殷代には年を祀といった。
 ○超群==衆に抜きん出る。抜群と同じ。
 ○俊師==大俊師。師は人をするもの、よって僧にもいう。
 ○夙==早くから。
 ○祇林==祇園精舎の林。寺の義とする。祇樹林ともいう。
 ○津梁==渡し場と橋。仏者の人を再度する意に用いる。
 ○無處布==施す場所がない。
 ○滔滔==水の盛んに流れる様。転じて世の風潮を追い行くのにいう。
 ○抑塞==おさえて、ふさぎとめる。又、おさえられて、心むすぼれること。
 ○不得逞==思うままに発揮することが出来ない。 「逞」 は思い通りにする意。
 ○方其袍==その上衣を四角にする。僧衣をまとう意。
 ○圓其頂==頭を丸める。
 ○衣鉢==衣は袈裟、鉢は托鉢して施物を受ける鉢。よって仏祖の法を伝える意。僧侶の生活。
 ○潔身==己の身の行いを清潔にすること。
 ○鹽梅==塩と梅。よいほどの味に加減すること。転じて、君を補佐して善政をしくのにいう。
 ○調大鼎==大鼎は祭りに用いる、肉を煮る大きなかなえ。大鼎の味をほどよく調和することで、庶政を処理する意に用いた。
 ○天下之溺==孟子、離婁上篇に 「天下溺るれば之を援くるに道を以ってす」 とある。正道を以って世を救うこと。援は手をさしのべ救うこと。
 ○得志秋== 「秋」 はとき。大切または危急の時期。
 ○虎呑狼食== 「虎狼呑食」 と同じ。虎や狼は貧食残忍で厭ことを知らぬものに例える。
 史記の蘇秦伝に 「夫れ秦は虎狼の国なり。天下を呑むの心あり」 とある。
 ○王土==天子の土地。ここは 「日本は天皇の土地」 という観念。
 ○割裂==わりさく。
 ○八州==日本国。大八州。
 ○馬蹄==馬のひずめ。
 ○踐蹂==ふみにじる
 ○東海道==京都から東方、沿海の諸国を経て江戸の通じる街道。江戸幕府はこの地方を全部譜代大名で固めた。いわば幕府側にとっては頼みの根拠地である。
 ○感多少==感慨も多いであろう。
 ○殘壘==残された砦。廃塁。塁は敵に備えるために土地を累ねて作った小城。
 ○趙耶韓==趙も韓も戦国時代の国。もと晋より分かれたもの。ここは幕府方の譜代大名に例えた。
 ○討==もとめ、たずねる。
 ○參==参河。今の愛知県一帯。
 ○駿==駿河。今の静岡県一帯。
 ○英雄==徳川家康をさす。
 ○慨然==いきどおりなげくさま。
 ○大丈夫==ますらお。
 ○空老==何もしないで、いたずらに年をとる。
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                | 題 意 | 
               
                | 
                     
                      | 明治三年 (1870) 二月十六日、雲井龍雄の企図に感動し、同盟に加わった釈大俊が、表面は亡父の一周忌の法要のためと称し、実は尾張・伊勢方面の党与を募るため、東京を出発するに当って、龍雄はこの詩を賦して激励したのである。 |  | 
               
                | 通 釈 | 
               
                | 
                     
                      | 凡そこの世に生まれたからには、天下に比類なき大壮図を企つべきであり、死しては芳しき名声を千年後まで伝えねばならぬ。 
                        いやしくも功名抜羣でなければ、どうして真の男子と呼ぶことが出来よう。 大俊師は大胆豪気の人で、その素質を持ちながら、時世に憤るところがあって、蚤歳僧侶となって世俗を逃れた。世の津梁となって民を救済するの策を有しながら施す場処もなく、天下の滔滔たる流れはいかんともし難い有様である。
 私は君の奇才の抑塞されて十分に発揮することが出来ず、僧衣をまとい、頭を丸めたのを惜しむものである。
 どうして一衣一鉢の間に独りその行を潔くすることに満足して、国家のために有用の材となって大政に参画しようとしないのであるか。
 君の才を以ってすれば、民の溺れんとする者を引き上げ救うことも可能であろう。
 人生いつかは己の志を得る時が来ないとも限らないのである。もし虎狼の野心家どもが呑食を逞しくして、わが王土が割裂されようとする時には、大八島 
                        (日本全土) の草は君の馬蹄の蹂躙に任せ、目に物見せてやることも出来よう。
 然るに今君は故郷に帰るべく東海道に向かっている。道中至る処の山河に対して多少の感慨なきを得まい。
 今は廃墟と化した古城や残塁、それは趙か韓か、いずれ虎狼の秦に破壊された国のそれに相違ないのである。
 ただ仔細に検討すれば、その勝敗の跡は猶歴々として、われ等の参考に供することが出来よう。わけても參河・駿河の国々の山河は、神君家康公の出身地である。さすが英雄の身を起こした処は、地形も勝れていることが看取されよう。
 私は此処に至っては、慨然として奮起し、大丈夫はむなしく世外に老いるべきでないことを悟られるものと確信する。
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                | 余 説 | 
               
                | 
                     
                      | 詩は薩・長を虎狼の秦にたとえ、六国を幕府方にたとえている。龍雄ら幕府側から見れば、「王政復古とは名ばかりで、その実、薩・長が君臣の奸と結んで、幕府に代わって実権を掌握せんとする陰謀に過ぎない。その証拠に、慶喜は既に政権を奉還し恭順の意を表しているのに、更にその退官納地をせまり、朝敵の悪名まできせて、これを討伐するとは、言語道断、以ての外の曲事である。
 徳川三百年の治績と将軍の至誠を認めさせねばならぬ。」
 と、いうにあった。
 しかし、一方岩倉具視・西郷隆盛・大久保利通らの考えは、
 「慶喜がたとい大政を奉還しても、八百万石の領地と人民、これに匹敵する兵力を持っている。ここで手をゆるめれば、いつ再び朝廷に圧力をかけ、権力を回復するかわからない。
 土地。人民・兵力の一切を朝廷に納めなければ王政復古の実は備わらない。
 時勢・民心・すでに幕府を離れた大変革の時に、その擁護工作や現状存続をはかろうとする者は、天皇親政の御一新を妨害するものであるから、将軍といわず、大諸侯といわず、容赦すべきでない。酷なようでも、こも主旨だけは貫かねばならぬ」
 と、いうにあった。
 ここに両者の妥協を相容れない決定的な立場の相違があった。
 龍雄が遂に謀叛の罪に問われるのも、亦時勢の勢いというものであろう。しかし、龍雄は薩・長に敵対する考えはあっても、朝廷に謀叛をはかるつもりではなかったことは、むろん明らかな事実である。そこは十分に斟酌せねばならぬ。
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