三
叉
江
山
田
政
苗
(蠖
堂
) |
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佳 人
を贖
う 佳
人
顰
す 太
守
瞋
る
妾
が身
は君
が殺
すに任
す
妾
が身
は君
が活
かすに任
す
妾
が身
已
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郎
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り
妾
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蘭
舟
中
娥
眉
を斬
る
遺
恨
は知
らず深
さ幾
尺
三
叉
の水
終
古
碧
なり |
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贖佳人 佳人顰 太守瞋
妾身任君殺
妾身任君活
妾身已有五郎在
妾心不可奪
?髪在手亂如絲
木蘭舟中斬娥眉
遺恨不知深幾尺
三叉之水終古碧 |
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語 釈 |
○贖佳人==美人を身請けすること。美人は高尾である。
江戸吉原の三浦屋の遊女。高尾と名乗るものは、異本洞房語園 (温知叢書第一輯所収)
には、 「三浦屋四郎左衛門抱への高尾七代あり」 とあるが、前後十一人とするのが正確らしい
(広辞苑) 。その二代目を万治高尾・仙台高尾とよぶ。詩に擬する所の佳人はそれである。
「佳人」 は美人と同じ。
○顰==憂えて顔をしかめる。
○太守瞋==太守は郡の長官。日本では国主大名の称。瞋は目をいからすこと。
○不可奪==移し傾け奪い取ることは出来ないの意。
○? (シン) 髪==黒く美しい髪。
○在手==太守の手につかまれること。
○亂如絲==糸のよう乱れている。
○木蘭==あららぎ。又いちいという。いちい科の常緑樹。
○娥眉==蛾の眉は三日月形で美しいので、美人の眉にいい、転じて美人の意に用いる。
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題 意 |
いわゆる伊達騒動に出てくる江戸吉原三浦屋かかえの傾城二代目高尾が、伊達綱宗のために、墨田川三叉で、船中吊し斬りにされたという俗説を詠じたものである。伊達騒動を脚色した芝居・浄瑠璃・狂言ばどは枚挙に堪えないほど多い。
特に浄瑠璃では、通常 「船の高尾」 で知られる。
「沢紫色水上 (サワムラサキイロノミナカミ) 」 に 「高尾の吊し切り」
を扱っている (日本名著全集音曲集所収) 。
文政二年 (1892) 三月七日から河原崎座興行の 「伊達競阿国戯場
(ダテクラネオクニカブキ) 」 の第一番目、三立目に出した浄瑠璃である。
蠖堂が江戸に来たのは天保四年 (1833) で、当時盛んに演ぜられていたと思われる。
綱宗は脚色されて左金吾頼兼となっている。
他に曲亭馬琴の高尾千字文五冊があるが、寛政七年 (1795) の刊本、その中に、足利義政の弟頼兼が遊女高尾を身請けしようとするが、高尾は愛人玉田十三朗を慕って頼兼になびかないので、芝川の満又で斬るという筋になっている。
また奈河亀輔の狂言 「伽藍先代萩 (メイボクセンダイハギ) 」
(演劇叢書第四編所収) には、綱宗は鎌倉時代の奥州鎮守府の冠者太郎経陸とし、高尾の愛人を志田十三朗としている。
いずれにせよ、綱宗が高尾を斬ったというのは事実ではない。万治三年 (1660)
三月、江戸小石川の水道橋から昌平橋へかけての堀普請を幕府から命ぜられ、その工事中、吉原に遊興したため謹慎を命ぜられた
(伊達騒動の発端) 。その事件にまつわる俗説である。
詩は蠖堂遺稿初集にとる。 |
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通 釈 |
藩侯が美人高尾を身請けしようとしたが、高尾は眉をしかめてその意に従わない。そこで藩侯は目を怒らせてこれを見る。
高尾が申すには 「妾の身は殿が殺そうと活かそうと、どうぞ存分になされませ。妾にはすでに五郎という契ったお方がございます。妾の心は黄金や権力で奪うことは出来ますまい。」
これを聞くより、太守は大いに怒り、その黒髪をむずんとつかめば、髷は乱れて糸の如く、あわれ絶世の美人も木蘭舟中に吊し斬りにされたのである。
ああ、その恨みはどんなに深いものであったろうか。時は移り世は変わっても、三叉の水は永久にその不気味な碧の色をたたえているのである。
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余 説 |
この詩に取り上げていることは、もとより事実ではなく、恐らく当時の歌舞伎・浄瑠璃に基いているのであろう。
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