〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/27 (水) 作 者 と し て の 紫 式 部 (三)

藤原道長の野望は、この時すでにほとんど達成されていた。
政的兄道隆一家を失脚させ、内覧になり、娘彰子 (ショウシ) を一条天皇の中宮として入内させてもいた。政治権力者として最高の立場に君臨していた。
中宮彰子があまりにも若く、美しくて天才的歌人の和泉式部がいたものの、一条天皇の愛が、先に入内していた姪の皇后定子の方に強いことが、唯一の気がかりであった。
定子のまわりには才女の清少納言などがいて、文化的な趣味の高い一条天皇の気持ちを惹きつけている。定子のサロンに負けないため、道長はより魅力的な彰子のサロンをつくる必要があった。
そこで紫式部に白羽の矢を立てたと思われる。つまり、それほど、すでに紫式部の書く物語は、人々の間で評判になっていたのだ。
それはおそらくすでに 「源氏物語」 であったであろう。どの程度進んでいたかは知れないが、それを持参することを条件として、紫式部の宮仕えが決まったと思われる。
同じ女房でも、特別の局を与えられ、高価な紙や筆硯も充分に支給され、参考書も思いのままに揃えられたであろう。
道長の権力を以ってすれば、すべて可能である。こうして道長という何よりも強力なパトロンを持って、紫式部は心おきなく 「源氏物語」 の執筆に没頭する。
最高の読者は、一条天皇と中宮彰子である。道長の計画は的を射て、一条天皇は源氏物語のつづきが知りたく、彰子の部屋を訪れることが前より多くなる。
声の美しい女房が読みあげるのを天皇と中宮と、そのまわりの女房たちが聞く。片隅に紫式部は出来るだけ目立たぬように控えて、人々の反応に神経をとがらせ、観察している。作者としての満悦は頂点に達する。
当時、物語の鑑賞法は、声に出して読むのを聞くのが常であった。こうして 「源氏物語」 は寛弘三、四年から後宮にもてはやされ、執筆と並行して読まれていったのである。
週刊誌や月刊誌の連載小説の形をとっていて、読者の反響や、希望を紫式部は参考にしながら、物語をふくらませたり、筋を造り直したりしていったと想像される。
紫式部にとって最高の読者である一条天皇は、文学趣味が高く、物語の観賞眼も女房達の比ではなかった。
作者にとってはこんな晴れがましい光栄がまたとあるだろうか。至高の国家君主と、政治権力者に支えられているという自信と誇りがこの大長編を書き上げる紫式部の情熱の根源にあったと思われる。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ