〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/26 (火) 源 氏 物 語 と は (二)

作者は紫式部一人ではなく、複数かも知れないという説もあるのは、これだけの大華麗な傑作が、到底一女性の手では書けるはずがなかろうという、男性研究者の想像と仮説から出たもので、根拠はない。
作者の創作日記というものが残されていないので、紫式部一人の作とは、歴史的証明は出来ないものの、今に至るまで、複数説を納得させる証拠も現れていない。
紫式部は 「源氏物語」 の他に、自選と思われる自作の歌を集めた家集 「紫式部」 と、随筆風の 「紫式部日記」 を残している。この二つは、彼女個人の作に間違いない。
「紫式部日記」 の中には 「源氏物語」 の名も度々現れているし、寛弘五年 (1008) 十一月一日の条に、藤原公任が、式部の控えている部屋の御簾の隙から 「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」 と言って覗いたという話も書きとめてあり、それに対して紫式部は 「源氏に似るべき人も見えたまはぬに」 と思ったと書いている。
これは、紫式部が宮仕えしていた一条天皇の宮廷では、廷臣たちの間でも、 「源氏物語」 が読まれ評判になっていて、少なくとも 「若紫」 の帖まではすでに書かれていて、作者は紫式部と目されていたことが証明されたものである。
また同じ日記の中に、一条天皇が侍女に 「源氏物語」 を読ませてお聞きになり、この人は日本紀を読んでいるに違いない、ほんとうに学才があるようだ」 と、ほめられた話もあり、それを嫉んで同輩の女房たちから 「日本紀の御局」 とあだ名をつけられた話も書き残している。
それらを見合わせても、紫式部作というリアリティはある。
今では、紫式部一人の作という説で落着いている。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ