〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/04/15 (火) 帚 木 (三十一)

『帚木の 心を知らで そのはらの 道にあやなく まどひぬるかな』
「聞こえむかたこそなけれ」 とのたまへり。
女も、さすがになどろまざりければ
『数ならぬ ふせ屋におふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる帚木』
と聞こえたり。
小君、いといとほしさに、ねぶたくもあらでまどひありくるを、人あやしと見るらむ、とわびたまふ。
例の、人々はいぎたなきに、一所すずろにすさまじくおぼし続けらるれど、人に似ぬ心のさまの、なほ消えず立ちのぼれりけると、ねたく、かかるにつけてこそ心もとまれと、かつはおぼしながら、めざましくつらければ、さればとおぼせども、さもおぼし果つまじく、
「隠れたらむ所に、なほ率て行け」 とのたまへど、
「いとむつがしげに閉し籠められて、人あまたはべるめれば、かしこげに」 と聞こゆ。
いとほしと思へり。
「よし、あこだに、な捨てそ」 とのたまひて、御かたはらに臥せたまへり。
若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれにおぼさるとぞ。
(口語訳・瀬戸内 寂聴)
『帚木の 心を知らで そのはらの 道にあやなく まどひぬるかな』
(園原の伏屋に立つとか帚木よ 近づけば幻の如く消える帚木 その帚木のようにつれないあなたよ 逢いたさに訪ね探してどこともしれず 道に迷ってしまったこのわたし)
「何とも言いようもありません」
と書いてお届けになりました。女もさすがに眠れないでいたので、
『数ならぬ ふせ屋におふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる帚木』

(貧しい伏屋に生えているという 帚木の名に恥じて 人知れず消えてしまいたいのに 在っても無いような幻の樹の あの帚木のようなこのわたし)

とお返事をいたしました。
小君は源氏の君がたいそうお気の毒なため、いっこう眠たがりもしないで、お手紙の取次ぎをしてうろうろ歩き廻っているのを、人に怪しまれはしないかと、女君はつらがっています。
例によって、供人たちはいぎたなく眠りこけていますが、源氏の君お一人はただ何となくお淋しくてならず、考えつづけていらっしゃいました。
一筋縄ではいかない女の強情な気性が、帚木の歌とはちがって、一向に消えるどころか、かえって鮮やかに心に立ち上がるように見えるのがいまいましく、また一方では、それだからこそ、自分の心もこんなに惹きつけられるのだと、お思いになります。
それにつけても、あまりに情けないから、 「ええもう、どうともなれ」 と思われるものの、やはり、そうさっぱりとも思いきれなくて、小君に、
「あの人の隠れている所へ、連れて行っておくれ」
とおっしゃいます。
「ひどくむさ苦しそうなところに閉じ込められていて、中には女房もたくさんおりますから、御案内するのは、畏れ多くて」
と申し上げます。小君は心からお気の毒に思っているのでした。
「よしよし、お前だけはわたしを捨てないでおくれ」
とおっしゃって、小君をお側にお寝かしになるのでした。
若々しくなつかしい源氏の君の御様子を、小君は心からうれしく、すばらしいと感じいっておりますので、源氏の君も冷淡なつれない姉よりは、かえってこの弟の方を、しみじみいとおしくお思いになっていらっしゃるとか。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ