橋 本 左 内 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)

獄 中 作 (一)
苦冤難洗恨難禁

俯則悲痛仰則吟

昨夜城中霜始殞

誰知松柏後凋心


(/rp>ごく (/rp>ちゅう(/rp>さく (一)
(/rp> (/rp>えん (/rp>あら(/rp>がた(/rp>うら(/rp>きん(/rp>がた
(/rp> しては(/rp>すなわ(/rp> (/rp>つう (/rp>あお ぎては(/rp>すなわ(/rp>ぎん
(/rp>さく (/rp> (/rp>じょう (/rp>ちゅう (/rp>しも (/rp>はじ めて(/rp>
(/rp>たれ(/rp> らん(/rp>しょう (/rp>はく (/rp>こう (/rp>ちょう(/rp>こころ

安政六年 (1859) の作。二十六歳。
この年十月二日、評定所へ呼び出されて尋問を受けた後、そのまま伝馬町の獄に下ることを命ぜられた。 十七日幕府は左内に死罪を言い渡し、即日処刑が執行された。
左内は藩主松平春嶽の指示のままに奔走したのであって、いわば臣下の本分を尽くしたということができ、幕閣の多くも死罪に相当するような罪状ではないと判断したようだが、大老井伊直弼ひとりの意向に従って処断されたと伝えられる。
幕府の死罪申し渡し状 ( 『橋本景岳全集』 所収) では、一倍臣の身でありながら将軍後嗣の決定に関して京都の公家達に説いてまわったことは 「公儀を憚らざる仕方」 で不届きであるということであった。
詩は、獄中にある数日の間に作られたものである。

全く無実の罪であるのに、その嫌疑を晴らす事も出来ず、痛恨の思いを止めがたい。地に俯しても悲痛を嘆き、天を仰いでも胸中の苦しみにうめく日々だ。
昨夜は江戸の町にも今年初めての霜が降りた。寒中の霜を経て他の木々はみな枯れしぼむ中で、変わらぬ緑をたもち続ける松柏の操を、誰か分かってくれる者があるだろうか。

苦冤==つらい冤罪
吟==呻吟嘆息する。
城中==城は、町の意。ここでは江戸の町をさす。
松柏後凋心==松柏は、松や檜などの常緑樹。 『論語』 子罕 (シカン) 篇に 「歳寒くして、然 (シカ) る後に松柏の彫 (シボ) むに後 (オク) るるを知る」 とあり、冬にも枯れぬ松柏をもって苦難を経ても変らぬ節操に喩える。