橋 本 左 内 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)

西 洋 雑 詠 (一)
拘士何知今昔殊

倭人場裏説唐虞

堯治舜化不専美

嘗読西洋通史無
西(/rp>せい (/rp>よう (/rp>ざつ (/rp>えい (一)
(/rp>こう (/rp> (/rp>なん(/rp>こん (/rp>じゃく(/rp>こと なれるを(/rp> らん
(/rp>わい (/rp>じん (/rp>じょう (/rp>(/rp>とう (/rp>(/rp>
(/rp>ぎょう (/rp> (/rp>しゅん (/rp> (/rp>(/rp>もつぱ らにせず
(/rp>かつ西(/rp>せい (/rp>よう(/rp>つう (/rp>(/rp> みしや(/rp>いな

安政六年 (1859) の作。二十六歳。
昨年十月二十三日に藩邸内滝氏方へ幽閉されて以来、本年の正月八日と二月十三日に町奉行所で、また三月四日と七月三日に評定所での取り調べがあっただけで、十月二日に伝馬町の獄に下る事が言い渡されるまでの約一年、左内は人との面接も許されぬまま、孤独と焦燥に包まれてはいても、自分の時間だけは多く持つことが出来た。この間、あらためて読書や思案を重ねる事が出来たようで、この詩も西洋についての書物を読んでの感想をうたう。

頑迷な人間には古今の変化が理解できない。しかも不見識な輩は人の言うままにつられて、何も知らぬのに唐虞の時代が政治の理想だなどと叫んでいる。
しかし、うるわし美わしき治世というのは、堯帝や舜帝だけが達成し得たのではない。そんなことを言う者は、かつて西洋の歴史を読んだ事がないのではないか

拘士==物事にとらわれて融通の利かぬ人。
倭人場裏==倭人は、背丈の低い人で、不見識に付和雷同する人物に喩える。場裏は、芝居の舞台。
唐虞==唐は、堯の号、虞は、舜の号。堯と舜は中国上代の伝説上の皇帝で、もっとも理想的な政治を行った聖王とされる。
堯治舜化==治と化は、政治を行って人々を教化し、よき世の中とする事。