橋 本 左 内 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)



(/rp>ぼう (/rp> (/rp>しょ (/rp>とう (/rp>ねん (/rp>(/rp>よる(/rp>しょ (/rp>
(/rp>たい (/rp>(/rp>かん (/rp> (/rp>じゅう (/rp> (/rp>めい (/rp> たりて(/rp>(/rp>たく(/rp>そう し、
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(/rp>ゆう (/rp>しゅう(/rp>めい(/rp>こうむ る。(/rp> (/rp>もつ(/rp>じつ(/rp>
戊午初雪念二夜初鼓
大府監吏十餘名来捜予宅、
携文稿簡牘若干篇而去、
其翌予蒙募召至北尹石因州庁、
蒙幽囚之命、詩以紀実
安政五年 (1858) の作。二十五歳。
念二は、二十二日。初鼓は、暮れ六つ (午前六時頃) の鐘であろう。大府は、幕府。監吏は、監察を仕事とする役人で、奉行所の与力、同心など。簡牘は、書簡。北尹石因州は、北町奉行の石谷因幡守。
この年十月二十二日、左内の家に町奉行所の捜査の手が入り、書類や手紙が押収された。翌二十三日、左内は北町奉行の役所に呼び出されて謹慎を言い渡され、福井藩邸内滝勘蔵方へ幽閉されることになった。
詩は、奉行所での様子と左内の心事をうたう。

いくつかの罪人の列が、ひとしく首をうなだれて、 「お許しください、どうぞお慈悲を」 と、しきりに叫んでいる。それを叱りつける牢役人の声は、ののしり怒ること凄まじく、さながら雷鳴のようだ。
だが、私だけは胸にやましい事はいささかもなく、水の如く潔白である。だから、奉行所内の些細な事で心を悩ませたりはしないのだ。

首頻乞哀==首頻は、奉行所内を囚人がうなだれてゆくこと。乞哀は、乞憐に同じで、押韻の関係で哀を用いたもの。
方寸==こころ。胸中一寸四方にあるからという。
清若水==左内は自分の行動に些かのやましい思いはなく、翌安政六年 (1859) 七月の評定所での取調べにも 「私は主人の為を致すべき筈なれば、主人は公辺の御為致すべきは勿論に御座候」 と答えているように、「私は国家の為を思う藩主の指示に家臣として忠実に従ったまでだと泰然としていた。幕府が左内を何事かの容疑者と見なした事さえも心外であった。
教==使と同じく使役の辞。
些子==わずか。
累霊台==累は、思いわずらわせりこと。霊台は、たなしいのありか、すなわちこころ。

幾群(/rp>いくぐん(/rp>こうべ(/rp> せて(/rp>しき りに(/rp>あわ れみを(/rp>

(/rp>ごく (/rp>(/rp>しつ (/rp>せい (/rp>いか りて(/rp>いかずち(/rp> たり

方寸(/rp>ほうすん (/rp>(/rp>われ のみは(/rp>きよ きこと(/rp>みず(/rp>ごと

(/rp> (/rp> をして(/rp>れい (/rp>だい(/rp>わずら(/rp> めず
幾群俛首頻乞哀

獄吏叱声嗔似雷

方寸唯吾清若水

不教些子累霊台