橋 本 左 内 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)



ぐう せい
半生はんせい 落魄らくはく して山東さんとうかく たり

そらんつく人間じんかん たつ  まきゅう

よく んで閑居かんきょ 一事いち じ

して星斗せいと 秋空しゅうくう つるを
偶 成
半生落魄客山東

諳尽人間達又窮

浴罷閑居無一事

臥看星斗満秋空
安政五年 (1858) の作。二十五歳。
七月七日、松平春嶽は過日幕府が日米修好通商条約を独断で締結した事に抗議の不時登城した (六月二十四日) のを咎められて、蟄居謹慎を命ぜられた。これによって春嶽は福井藩主の地位を去り、新たな藩主には糸魚川から松平茂昭が迎えられた。
左内は従来通り春嶽に近時する事になったが、いまや隠居の世話役という閑職であり、今後藩政の一変も予想されることで、大きな衝撃を受けたことだろう。
詩は、これまでの春嶽の指示のもとに国事に奔走してきたものが、突然閑職に追いやられた感慨をうたう。

人生の半ばまで来て、落ちぶれ果てて江戸住まいということになった。思えばこれまで、人の世にあって栄達してゆくことも挫折して行き詰まる事も、十分に味わいつくしてきた。
寂しく閑な身の上になると、風呂から上がってしまえば、もう何もすることがない。仰向けに寝ころがって秋空いっぱいに輝く星を見ているばかりだ。

落魄==志を得ないで落ちぶれるさま
客山東==客は、故郷を離れて旅住まいすること。山東は、唐詩では函谷関の東をさすが、ここでは箱根山の東にあたる江戸の町。
諳尽==知り尽くす。   人間==世間。世の中。
達又窮==栄達と挫折。
星斗==星をいう。斗は星座の名で、北斗もしくは南斗。