橋 本 左 内 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)



あかつきれん
たりてこころ とういた

とう はす ひらじゅう じょうなが きに

しゅん ともえん しょくあらそ わず

ひとしゅう ぎくさき だちてせい ほうもてあそ

つゆよう めん りて しゅ てん

つき しんとど まりてかん じょ よそお

じん あいだつ きゃく するはしんしょう するに えたり

いわ んやぎょう すい ゆう こううご かすを るをや
暁 過 蓮 池
起来試歩到池塘

塘裡蓮開十丈長

不伴春花争艶色

特先秋菊弄清芳

露凝葉面堕珠転

月逗花心漢女粧

脱却塵埃真耐賞

矧知暁吹動幽香
 
嘉永六年 (1853) 頃の作か。二十歳。
亡父のあとを嗣いで藩医となっていた時期の詩。
ここでいう蓮池は、前の詩の 「去年先考所植芙蓉開、有感」 に歌われたものと同じところであろう

朝起きて少し庭を歩いてみようと、池の土手まで来た。池の中では蓮が十丈にも広がって咲いていた。
この花は、百花の競い咲く春には他の花とその美しさを争うとはせず、ただひとりこの季節に、秋の菊に先んじて清らかに馨しい花をつける。
葉の上に結んだ露は、やがて真珠となって転がり落ちる。月が花の上に照らす時には、まるで神女が美しく粧って出てきたようだ。
泥土から生じながら一点の汚れもないのは、まことに愛づるにあたいする。まして、明け方の風に吹かれて幽かなよき香りをただよわせているのだから。

十丈長==一丈は十尺、約3メートル。蓮が水面いっぱいにひろがって花をつけたことを、やや詩的に誇張していったものであろう。
艶色==あでやかな美しさ。
月逗花心==花心は、花の中心。花の真上から月光が注がれている情景をいう。
漢女==長江の大きな支流である漢水のほとりに出遊する神女。
脱却塵埃==塵埃はちりと土ぼこりだが、広く汚れを指していう。
幽香==ほのかな香り。