橋 本 左 内 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)



した こういん し、
     るるにこた
きょう りてひとはる

てん ちょう かい きゅう ふう じんこと にす

こう ゆめ やぶせい せいがん

むな しくざん とうたい して じんおも
次真下士行韵、答其見寄
身在他郷独遇春

天長海久異風塵

五更夢破声声雁

空対残燈憶故人
 
嘉永三、四年 (1850、1851) 頃の作。
十七、八歳。
適塾に学んでいた時期の詩。
真下士行から詩を贈られ、その詩と同じ韻字を用いて応えた、いわゆる 「次韻詩」 。
韵は、韻に同じ。
真下士行は福井藩の医師で、もと橋本家の門弟として医術を学んだ。

私は他国に身を置いて、ただひとり春のめぐってくるのを迎えました。ふるさとから遠く遥かに隔たったところで、風物もまるで異なっています。
夜明け前に、一声また一声と鳴く雁に眠りを破られてしまいました。消えかかっている灯火に向かって、むなしく懐かしい人のことを思い出しているばかりです。

他郷==異郷。
天長海久== 「天海長久」 を分けて互文とした言い方。天海だけでも遠く距離を隔てていることの形容となる。
風塵==現実の生活。世間の様子。
五更==夜の時間を初更から五つに分かち、その中で一番夜明に近い時間帯。いまの午前四時頃。
夢破==眠りを覚まされること。
声声雁==渡り鳥は決まった時節に必ずもとの地に帰ってくるので、その鳴き声は常に他郷にある者に望郷の思いを抱かせる。
残燈==残は、そこなわれる意で、消えつきようとしている灯火。
故人==古いなじみ、旧友。