橋 本 左 内 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)


ぼう せい きょうかえ る を おく
おく がつはじ

えん わか れを げて べつ しゅう あま

あや にくすい めん やなぎ

きみつなあた わずして われつな
送 某 生 帰 故 郷
相送琶湖五月初

祖筵語別別愁餘

生憎水面糸糸柳

不解繋君解繋吾
嘉永三、四年 (1850、1851) 頃の作。
十七、八歳。
知人を送別する詩である。 左内 (号は景岳) は嘉永二年 (1849) 冬、福井から大坂 (現大阪市) へ出て、緒方洪庵の適々塾 (適塾と通称する) に学んでいた。

琵琶湖のほとりで五月のはじめ、君を見送ることになった。送別の宴席で別れを告げれば、別離の悲しみはいつまでも胸に満ちる。
憎らしいことに湖水に垂れる柳の糸は、君が去るのを繋ぎとめることも出来ぬのに、私ばかりを引き止める。

相送==相は他動詞の上に添えて語調を整える辞で、必ずしも 「おたがいに」 の意味ではない。
琶湖==琵琶湖。当時旅立つ人を見送る場合、見送りの人々も適当な地点まで同行してゆき、そこで最後の宴席を設けて別れを惜しむ習慣があった。ここも、大坂から琵琶湖畔まで見送りに出て、そこで最後の別れを惜しんだのであろう。
祖筵==送別の宴。祖は、旅立ちに臨んで道路の神を祭って旅中の無事を祈ることで、そこから転じて送別の意となった。
生憎== 生は、下の憎に添えた助字。
糸糸柳==糸糸は、柳の枝が糸のように長く垂れているさま。柳は、別離の詩では常に点ぜられる景物。
不解繋君解繋吾==解は、ほぼ能に同じ。能は平字でここに用いることは出来ないので、仄字の解を用いた。去り行く人を引き留めることは出来なかったのに、私はここから立ち去りかねる思いにさせる、の意。柳糸を縄に見立てて去り行く人を縛り留めよよいうのも、送別の詩では常用の手法。