瓢箪よ、瓢箪よ。はお前が気に入っている。悠々として年月はめぐり、その間いくたびかの変遷を経てきたことだろう。
陋巷での顔回の無上の楽しみは、誰か今も受け継いでいるだろうか。豊臣秀吉の壮大なる志も、何とあっけなく潰えてしまったことか。 楚の屈原のように、世人みな酔いしれているなかで我ひとりが醒めているかの孤独感を抱いて、やがては追放されて洞庭湖のほとりに詩を吟じつつさすらい、ついに汨羅
(ベキラ) の淵に身を投じて死んでいく道はとるまい。ただひたすら瓢箪の酒を飲んで、謫
(タク) 仙人と呼ばれた酔漢李白の仲間でいよう。 |