藤 田 東 湖 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)

(/rp>ひょう(/rp>ひょう(/rp>われ (/rp>なんじ(/rp>あい

(/rp>なんじ (/rp>かつ(/rp>じゅく (/rp>(/rp>がん (/rp>(/rp>けん

(/rp>ろう (/rp>こう (/rp>つい (/rp>ずい して(/rp>たの しみを(/rp>あらた めず

(/rp>なん(/rp> (/rp>ろく(/rp>もつ(/rp>てん (/rp>ねん(/rp> ばさざる

(/rp>よう 寿(/rp>じゅ (/rp>めい (/rp>(/rp>なんじ(/rp>ちから(/rp>あら

(/rp>せい (/rp>めい (/rp>とこし えに(/rp> (/rp>(/rp> して(/rp>つた
瓢箪よ、瓢箪よ。私はお前が気に入っている。お前はかって顔回の立派さをよく知っていたはずだ。顔回の住むうらぶれた巷にも随いてまわって、顔回とともにその楽しみを改めようとはしなかった。どうしてお前は酒でも盛って、顔回の天寿を延ばしてやらなかったのか。
人の寿命は天の定めであろうから、お前の力の及ぶところではなかったわけか。とにかく、顔
回とともにあったおかげで、お前の名誉も顔回の驥尾に附して末長く伝わる事になった

顔子賢==顔子は、孔子の高弟顔回。 『論語』 の雍也篇に、
「賢なる哉、回や。一箪食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えざるに、回や其の楽しみを改めず。賢なる哉、回や」
との孔子の言葉がある。 「一箪食、一瓢の飲」 は竹で造った弁当箱の食べ物と、瓢箪を割った椀の飲み物で、顔回の貧しい生活ぶりをいう。ここに瓢箪が登場していることに発想して、本詩第一篇が歌われる。
陋巷追随==陋巷は、狭い路地のことで、貧民街。追随は、瓢箪が 「一瓢に飲」 として顔回に付いてまわること。
不改楽==前引 『論語』 の雍也篇の語を用いる。顔回が陋巷での貧乏生活にあって、その楽しみとするところを変えようとはしない、と孔子がほめた。したがって 『論語』 では顔回が 「楽しみを改めず」 であるが本詩では瓢箪を主語とする歌い方をしている。
盍将==盍は、何不と同じで、ナンゾ・・・ザルと訓む反語の辞。将は、以と同じで、やや俗語的な言い方。
美禄==うるわしき賜り物ということで、酒の異称。
延天年==天年は、天が与えた寿命。顔回は 『孔子家語』 七十二弟子解に没年三十一とあり、これには異説が多いが、若くして世を去ったことは間違いない。そこで、 「一瓢の飲」 として滋養の効あるとされる酒を用いて、顔回の長生きを考えてやればよかったのに、と。
夭寿有命==夭は、若くして死ぬこと。寿は、長生き。命は、天命、運命。
附驥尾==驥は、一日千里を行く名馬。蒼蝿 (アオバエ) でも驥の尾につかまっていれば千里を行く事も出来る ( 『後漢書』 隗囂伝注) ことから、立派な人物に随従する意。