藤 田 東 湖 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)


(/rp>がん (/rp>たん (二)
(/rp>ぼう (/rp>おく (/rp>(/rp>(/rp> るるを(/rp>さまた げず

(/rp>ゆう (/rp>しん (/rp>いたず らに(/rp>おどろ(/rp>ぶつ (/rp>こう(/rp>あら たなるに

(/rp> (/rp>じゅう (/rp> (/rp>ねん (/rp>なに (/rp>ごと をか(/rp>

(/rp>(/rp>(/rp>せき (/rp>へき (/rp>そう (/rp>こう(/rp>ひと
元 旦 (二)
茅屋不妨容此身

雄心徒駭物光新

二十四年成底事

還慙赤壁奏功人
文政十二年 (1829) 正月の作。二十四歳。

粗末な邸にこの身を置いているのは苦にしないが、新たな世の光景を見ては空しく雄々しい心を高ぶらせている。
思えば、二十四歳になるこれまでの生涯、何か成し遂げたことがあるだろうか。かって赤壁の戦いで大功をあげた周瑜 (シュウユ) に比べて恥じ入るばかりだ。

雄心==雄壮なこころ。大功を立てて天下に名を成そうとする志があることをいう。
徒駭==徒は、いたずらに、むなしく。駭は、おどろく、物事に対して心が動かされる。
物光新==物光は、物事の光景で、世間の様子。新は、それが次々と新たな様相を見せてゆくこと。
二十四年==東湖はこの年の正月に二十四歳を迎えた。
底事==何事と同じ。
還慙==還は、却って。慙は、恥じる。
赤壁奏功人==南下した魏の大軍を赤壁の地で撃破した呉の周瑜をさす。赤壁が今のどこに当たるのかは古来異説が多いが、湖北省武昌県西南あたりの長江岸と見るのが通説である。建安十三年 (208) 、江東に渡って呉国を平定しようとした魏の曹操の大軍と、呉と蜀の連合軍が赤壁で会戦し、軍兵の数に勝る魏軍が大敗した。この時、呉軍の指揮をとったのが周瑜で、先代の呉王である孫策とは妻同士が姉妹であることから義兄弟になる人物であった。ここで東湖が周瑜を引き合いに出しているのは、 『三国志』 呉書の周瑜伝に、周瑜が孫策の知遇を得て建威中郎将の位を授けられ、にわかに兵二千人と騎馬五十匹を預かる身分となったことを述べて、 「瑜、時に年二十四、呉中みな叫びて周郎と為す」 とあるところによろう。したがって句意は、後に赤壁で大功を立てることになる周瑜は、自分と同じ二十四歳の時には既に建威中郎将となって活躍している、それに較べて我が身が恥ずかしい、と。