藤 田 東 湖 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)


(/rp>じん (/rp>ぜん (/rp> (/rp>しゅう (/rp>せい
(/rp>(/rp>(/rp>(/rp>したが(/rp> るのみ
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荏苒二周星
唯有斯気随
嗟予雖万死
豈忍与汝離
屈伸付天地
生死復奚疑
生当雪君冤
復見張綱維
死為忠義鬼
極天護皇基

こうして二年の歳月が過ぎたが、ただこの正気だけが私の身につき従っているのである。
藩公を輔佐し得なかった私の罪は万死にあたいするが、たとえ死んだとしても、正気よ、汝と離れていられようか。
我が身のなりゆきは天地に任せたもの、生きようが死のうが、もはや何の迷いもない。
生きてあるならば藩公の冤罪をそそぎ、正気によって世道人倫が再び健全に輝く姿を示さねばならない。
もし死を迎えるならば、正気は我が魂に凝 (アツマ) って忠義の鬼となり、天地の尽きるまで皇国を護持するのだ。

荏苒==歳月が過ぎるさま。
二周星==星は一年で天球をひと廻りすることから、二年の意。
屈伸付天地==東湖の身の上がいよいよ抑圧されるか (屈) 、自由になっていくか (伸) 、それを決定する権利は天地に付与した。この先の我が身は、まるに任せた。
生死復奚疑==文天祥 「正気の歌」 に 「生死安んぞ論ずるに足らん」 とあるのと同じ心持ち。奚は、何と同じ、反語の辞。疑は、ためらい迷うこと。
復見張綱維==綱も維も、太い綱で国家を維持する根本となる道に「やとえる。より具体的には、三綱四維として数え上げることが出来、三綱は、君臣・父子・夫婦の正しいあり方 ( 『白虎通』 三綱六紀など) 、四維は礼・廉・恥 ( 『菅子』 牧民、など) 。ふたたび三綱四維の道が盛大となるのを見るとは、水戸斉昭の冤罪が晴れる日がきたならば、それは正気の働きによって国家に基本的な道義が恢復することになるからである。
忠義鬼==鬼は、死者の霊魂、亡者。日本でいうオニではない。
極天==通常では大空のいちばん高い所、どこまでも、の意であるが、ここは空間的な究極を時間的に転用して、永遠に、いつまでも、意かと思われる。
護皇基==皇基とは、国家存立の基盤となる天子による統治の事業をいう。そこで、皇基を護るとは、国家を護るというに等しい。

幕末には多くの人々が文天祥 「正気の歌」 を愛誦し、それは前記のように浅見?斎の 『靖献遺言』 が広く読まれたことによるものと考えられる。しかも、志士活動をした多くが、自らも文天祥と同様に獄中に投ぜられたり幽閉蟄居を強いられたりしたため、 「正気の歌」 によせる感慨はひとしおのものがあった。その結果、文天祥に唱和して藤田東湖の代表作となる本詩が出来上がったほか、吉田松陰の 「正気の歌」 があり、酒井伝治朗 (久留米の士、元治元年刑死) は 「顔果 (梁の胡僧祐) 文山 (文天祥) のみ唯だ吾が友」 と時世し、橋本左内 「獄中の作」 でも 「正気の歌」 への共感を言う。