藤 田 東 湖 漢 詩 集

「江戸漢詩選 (四) 志 士」 ヨ リ

(発行所:岩波書店 発行者:安江 良介 注者:坂田 新)


(/rp>すなわ(/rp>おお (/rp>むらじ(/rp>(/rp>さん じては
(/rp>かん (/rp>かん として(/rp> (/rp>どん(/rp>はい
(/rp>すなわ(/rp>めい (/rp>しゅ(/rp>だん(/rp>たす けては
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(/rp>ちゅう (/rp>ろう (/rp>かつ(/rp>これ(/rp>もち
(/rp>そう (/rp>しゃ (/rp>ばん (/rp>じゃく (/rp>やす
(/rp>きよ (/rp>まる (/rp>かつ(/rp>これ(/rp>もち
(/rp>よう (/rp>そう (/rp>かん (/rp>たん (/rp>さむ
乃参大連議
侃侃排瞿曇
乃助明主断
炎炎焚伽藍
中郎嘗用之
宋社磐石安
清丸嘗用之
妖僧肝胆寒

すなわち、正気は欽明 (キンメイ) 朝で仏教受容の可否が論ぜられて時、大連 (オオムラジ) である物部尾輿 (モノノベノオコシ) の仏教排激論に現れ、堂々と譲ることなく仏教を排撃した。
あるいはまた敏達 (ビタツ) 朝では、疫病が流行したのは仏教礼拝の祟りであるとする物部守屋らの上奏に正気は現れ、明敏なる天皇が仏教焼却の断を下すのを助けた。炎炎たる火は伽藍を焼き払ったものだ。
かつて中臣鎌足 (ナカトミノカマタリ) はこの正気をもって、大化の改新に参じて国家を磐石の安きに置いた。
また和気清麻呂 (ワケノキヨマロ) もこの正気をもって妖僧道鏡の心肝を寒からしめた。

参大連議==正気が参入して、大連の議論する中に具現した。大連は物部尾輿をさす。尾輿は渡来した仏教を奉ずべきか否かを天皇の前に論じた時、日本に固有の神があることを述べて蘇我稲目 (ソガノイナメ) の礼仏論を排撃した ( 『日本書紀』 欽明天皇十三年)
侃侃==剛直な議論のさま。
瞿曇==釈迦の姓ゴータマ (梵語) の音を写した漢訳。ひろく仏家、仏教を意味する。
明主断==敏達朝に疫病が流行した時、物部守屋らは蘇我稲目が仏像を礼拝していることの祟りであると上奏した。その結果、天皇の裁断によって、仏像は難波の堀江に棄て、向原 (ムクハラ) の伽藍は焼き払われる事となった ( 『日本書紀』 敏達天皇十四年)
中郎==中臣鎌足。 『大織る伝』 に字を中郎とあるのを用いたのであろう。
宋社==宋廟と社禝 (シャショク) 。宋廟には天子の先祖を祭り社禝には土地と穀物の神を祭る。ともに国家にとって重要な祭祀であることから、宋社を広く国家の意にも用いる。
磐石安==磐は、大きな岩。岩や石がどっしりと安定していることで、ここは皇極天皇の四年 (645) に中臣鎌足が中大兄皇子と協力して蘇我入鹿を討ち、以後いわゆる大化の改新を推し進めて国家を安寧に導こうとした事。
清丸==和気清麻呂。神護景雲三年 (769) 道鏡が天子の位を窺おうとした時、宇佐神宮に使いして神託を受け、道鏡の野心を阻止した。
妖僧==道鏡。