長き恨みの歌物語 (九)


情を含み
睇をらして君王に謝す
一別 音容 両ながら眇茫たり
昭陽殿裏 恩愛 絶え
蓬莱宮中 日月長し
を迴して下 人寰をむ処
長安は見えず 塵霧のみ見る
唯だ旧物を将ちて 深情を表さん
  鈿合金釵おば寄せ將去かん
釵は一股を
留め 合は一扇
釵は黄金を
擘き 合は鈿をかたん
但だ心をして金鈿の堅きに似しめば
天上人間 会は相見えん

おもいを内にこめ、ひたとみつめつつ、君主に申し上げた。
「お別れしてからというもの、 お声もお姿も
ふたつとも遠いはるかなものとなったきりでございました。
昭陽殿でうけました寵愛もとだえたきり、
蓬莱宮では月日ばかりがながくすぎてゆきます。
下の人間世界をふりかえりみましても、
長安は見えず塵や霧だけが見えるのです
昔の品々を用いて、私の深い情を表すよりほかはありません。
螺鈿の盒、黄金の釵をお手元に差し上げます。
釵は黄金の足を一本ずつに擘き、盒は片方ずつに分かちましょう。
二人の心がひたすらこの黄金や螺鈿の堅固さを保ってさえおりますれば、
天界と人間界とに別れていましても、
そのどちらかであるいはお目にかかれることもかないましょう」。

 

いよいよ別れというときに、
ねんごろにも貴妃は更に語を重ねた。
その言葉のうちには、
二人に心だけが覚えている誓いが含まれていた。
「七月七日長生殿で、
夜中、二人だけの時、ささやいた御言葉でございます。
『生まれ変わっては、どうか天上では 比翼の鳥に
地上では連理の枝となりたいものよ』と。」
悠久の天地とて終わることがあるかもしれません。
が、此の恨みばかりはいついつまでも
絶えるときがないでございましょう。
別れに臨みて慇懃に重ねて詞を寄す
詞中に誓の兩心のみ知る有り
「七月七日 長生殿
夜半 人無く 私語するの時
『天に在りては願わくは比翼の鳥と作らん
地に在りては願わくは連理の枝と為らん』と」
天長く地は久しくとも時には尽くること有らんも
此の恨みばかりは緜緜として絶ゆる期無からん

無限の情を、睇にこめて、かのかたは君王の使者に奏上の言葉を申し上げるのである。
「ひとたびお別れしてより、便りをきくこともお顔を拝することも、いずれもかけ離れたままでございます。昭陽殿でいただいた恩愛がぷっつりととだえたまま、ここ蓬莱の宮中では、世の人とは異なって、時はいたずらに長くすぎてゆくのです。頭をめぐらしてはるか彼方、ああ、そこが人の世、と望みやりはするのですが、君主の居られるなつかしい長安は目に入らず、ただ塵と霧とばかりで茫々とはてしなく目路をさえぎるのです。
はじめてちぎりましたあの夜、かためのしるしにいただいたあの品をもって私の変わらぬ深い心を表すよすがといたしましょう。螺鈿の盒、黄金の釵を君主のみもとにおとでけいたしましょう」。
そして貴妃は侍女に命じて金釵をささ鈿合を分かせた。かざしは一股、盒は片身をみずからに残すために。
「二人の心が、この黄金や螺鈿のように、堅く変わらずありさえすれば、天上にあろうとも人間にあろうとも、再び相い見えることもありましょう」。
去らねばならぬ時である。なにに修行者はいまだに躊躇のいろがある。貴妃は言った。
「しなた、更に何がのぞみなのです」。
修行者はお応えした。
「おそれながら申し上げます。お二人だけの秘めごとをおもらし下さいませ。金釵、鈿合は世に珍しくない品、さもなくば私め、あかしがたちませぬ。
貴妃はしばし魂を宙にとばしているふうであったが、やがてゆるゆると言を出した。
「昔、私の亡くなる五年前のことでありました。陛下のお供で驪山の宮に暑を避けたときのことです。七月七日、長生殿の上にけざやかに彦星と織り姫が現れました。夜半のこととて衛士も休ませ、私ひとり陛下におつきしておりました。陛下は肩と肩をすりよせてお立ちになり、このような誓いの言葉を私の耳もとでつぶやかれたのです。
     天に在りては願わくは比翼の鳥と作り
     地に在りては願わくは連理の枝と為らん
そうです。まるで陛下ご自身に向かっておおせられているようでありました・・・・・」。
ここで貴妃はややしばし言葉をとぎらせた。悲しみのあまりである。そして更に言葉をついでいった。
「ああ、このことを、たったひとつ、このことを想ったがために、ここにもいられなくなりました。私は下界に堕ちることになりましょうぞ」。

のちに修行者よりこの報告を聞いた玄宗皇帝、いまは老上皇の心は戦慄した、という。