長き恨みの歌物語 (六)

帰り来たれば池苑 皆 旧に依り
太液の芙蓉 未央柳
芙蓉は面の如く 柳は眉の如し
此に対いては如何ぞ涙 垂れざらん
春風桃李 花開くの夜
秋雨梧桐 葉落つるの時
西宮南苑 秋草 多く
宮葉 階に満ち 紅 掃 わず
梨園の弟子 白髪 新たに
椒房の阿監 青娥老いたり

帰り来れば池も苑もすべて旧のままである
太液池の蓮も、未央宮の柳も、昨年のままでる。
春をむかえて、自然は四季のめぐりのままに
己がじし生命を営んであるのに、
人にはなんと大きな移り変わりがあったものか。
今、眼前にする蓮の花、 あれは貴妃の顔、柳は眉ではないのか。
こうした情景に対いあっていて、 どうして涙がこぼれぬわけがあろう。
春の風に桃李の花の開くる日
秋に露に梧桐の葉の落つる時
西の宮、南の内裏に秋草が丈たかくはびこり、
階をうめつくす紅葉を掃う人もなかった。
かってみずから教えた梨園の弟子の頭にも しろいものが目立ち、
貴妃のそば近くはべっていた女達の緑の眉にも
はや老いのかげがさいている

夕殿 蛍飛とんで 思い悄然
孤燈 挑げ尽くすも 未まだ眠りを成さず
遅遲たる鐘鼓 初めて長き夜
耿耿たる星河 曙けなんと欲する天
鴛鴦の瓦冷ややかに霜華重く
翡翠の衾寒くして誰と共にせん
悠悠 生死 別れてより年を経
魂魄 曾て 夢にだも入らず

夕殿に蛍飛んで思ひ悄然たり
秋の灯挑げ尽くしていまだ眠ることあたはず
遅遲たる鐘漏の初めて長きよる
耿耿たる星河の曙けなんとする天
瓦は夜露ににぬれてしっとりと重たくつめたい。
ひとりねの夜着は、共にきる人もいないままに ただひんやりとしている。
生と死と、おのがじし世界の異なるままに はるかにかけ離れ、
別れてより歳月のみが経過してゆく。
亡くなったあの人は私のことを思ってはいないのであろうか 。
あの人のこいしい姿が一度も夢にあらわれないのは
一体どうしたわけなのだろう
人は、恋する相手をしたって、
夜、夢の通い路を魂を飛ばして逢にくる、
とういのだが・・・・。


第六段は、玄宗が帰京してからの、恋慕の情を述べる。
心ならずも戦乱のさなか、息子に帝位をゆずって退位した玄宗(今は上皇)であったが、過去の栄華をなつかしむ長安の老人たちの声望には未だなかなかのものがあった。はじね長安に帰った玄宗は、興慶宮が与えられた。この詩でいう南苑である。ところがここは長安のまちの中に位置していたため、玄宗の姿を外からかいまみることができ、道ゆく老人たちが万歳を唱え、それに玄宗がこたえるなどのことがあった。これが新皇帝粛宗の側近の反感をかい、玄宗たちは奥まった太極宮にうつされることとなった。この詩でいう西宮がこれにあたる。幽閉同様の生活である。
つき従う者にも、もはや昔日の若さはない。梨園の弟子も老いた。椒房の阿監も老いた。かくしてかっての貴妃と共に玄宗の日々を娯しませた同じ光景が、このたびは玄宗の心をいたましめる者と変ずる。ましてや貴妃の姿を夢にすら見ないのである。
玄宗の憂愁はいよいよ深い。日ごと夜ごとの長き恨み。