長き恨みの歌物語 (五)

黄埃 散漫として 風 瀟索
雲桟 エイ紆 剣閣に登る
峨眉山下 人の行くこと少れなり
旌旗 光無く 日色 薄し
蜀江 水碧にして 蜀山 青し
聖主 朝朝暮暮の情
行宮に月を見れば心を傷ましむるの色
夜の雨に鈴を聞けば腸を断つの声

天旋り日転じて 龍馭を迴す
此に到りて躊躇して去ること能わず
馬嵬坡下 泥土の中
 玉顔 見えず 空しく死せし処
君臣 相顧みて 尽く衣 を霑おす
東のかた都門を望み 馬に信せて帰る

あかちゃけた土ぼこりをまきあげつつ、もの哀しげな響きを残して風がわたる。
雲にまでとどくかと思われるその道は、うねうねと剣閣にのぼり、
ゆく人もまれな蜀の山なみを、旗指し物も生気なく玄宗の一行は進むのである。
蜀の都、成都の江はふかみどり色の色をたたえ、蜀の山なみは黒くそびえたっていた。
皇帝は朝ごと夕ごとに懐いをつのらせるのであった。
仮の宮居で眺めたもう月の色は、ひときわ心をいたましめ、
夜そぼふる雨に聞く鈴の音は、
蜀の山越えの際、雨にうたれつつ聞いた駅鈴かと思わせて、
腸の断ちきれんばかりであった。

やがて、月日がうつろい天下の情勢もうつり変わった。
天子の御車は都に戻ることとなった。
一行がここまでやってくると、心ためらって立ち去ることが出来ない。
馬嵬坡のどろ土の中よりほか、貴妃をしのぶ名残はないのである。
しかし、玉のような美貌のかたがあたら亡くなられたこの場所に、
かのおひとの顔はみえず、 殺された場所ばかりが虚しく目に入るのであった。
天子も臣下も顔を見合わせては袖もしどろに涙を流した。
東に都の城門をみやりつつ、馬の歩むがままに身をまかせて一行は帰っていった。

難所として知られる蜀の桟道にさしかかった一行を迎えたものは、十日あまりもつづく長雨であった。
そぼふる氷雨にうたれながらすすむ一行の馬の鈴は、蜀の嶺々にこだましてものがなしかった。
苦難のすえたどりついた蜀の都、成都。蜀江は無償の碧をたたえ、蜀の山々は黒々とそびえ立っていた。
玄宗はあさなあさな、ゆうなゆうなにつのる思いに情を動かされぬわけにはいかなかった。
     行宮に月を見れば心を傷ましむるの色
     夜の雨に猿を聞けば腸を断つの声
『和漢朗詠集』巻下、雑、恋の部の訓である。中国の中央部、中原の地から蜀に入るこのあたりの山々には猿が多く棲み、その哀しげな鳴き声は、古来から旅人の旅愁をいやましにさそったものであった。
玄宗の次の皇帝、粛宗の至徳二載、成都におちつき年を越した正月五日の夜である。安緑山が殺された。玄宗に「中に一体何が入ってそのように突きだしているのか」と訊ねられたとき、「赤心のみつまっております」と応えた太鼓腹から、血のりとともにあふれ出る腸をおさえつつ、ベッドの帳にすかって、「必ず家賊也---賊は内部の者じゃ!」と叫んで、この一世の梟雄は死んでいった。緑山の長男、安慶緒、参謀の厳荘、宦者の李猪児とが謀ったことであった。まさしく、
     天は施り日は転じて、竜の馭を廻らさしむ
である。
一年前、あわただしくおちのびてきた途を、今度は逆に東へと、玄宗の一行はたどった。うれしかるべき帰京の旅が、そのままあのつらくいまわしい一年前の記憶を巻き返して再現する旅程となった。
都を前にして、一行のあゆみがはたと止まった。躊躇して進めなくなったのである。ここ、
馬嵬坡のもと、土くれの中こそ、玉の顔を誇ったあのかたが、あたら空しくなられた場所なのである。今、一行の目の前には、ポッカリ吹きぬけた空間ばかりである。あの麗しいかたのお顔はもう見ることはできなく・・・・・玄宗もお付きの者も、顔を見合わせては哭いた。もう一息で、あのなつかしい都、長安ではある。東に城門をのぞみながら、しかし、一行の心は暗かった。ただ馬のあゆむがままに身をまかせて、帰ってゆくばかりである。
玄宗が蜀におちのびる艱難と、安在所での無聊、また蜀から長安へ帰るまでの、昔のなげきが逆にくるひろげられてゆくのを追体験する道中が、第五段の内容である。蜀であっても、帰還の道中にあっても、目にうつるものひとつとして、長き恨みでないものはない。