長き恨みの歌物語 (三)

驪宮 高き処 青雲に入り
仙楽 風に瓢りて 処処聞こゆ
緩歌 慢舞 糸竹を凝らし
尽日 君王 看れども足らず
漁陽のヘイ鼓 地を動もして来たり
驚かし破る霓裳羽衣の曲


天空の、青い雲につき入らんばかりに、 驪山の宮殿は高々とそびえ立つ。
この世のものとは思われぬ音楽がそこで奏されるとき、
風にのってあちらこちらまで達するのである。
ゆったりとした歌、ゆるやかな舞、弦楽器と打楽器の余韻嫋嫋たる響きに、
皇帝は一日中あきることがなかった。
漁陽の攻め太鼓が大地をとどろかしてのぼってき、
驚愕のあまり、霓裳羽衣の曲はちりぢりに吹きやぶられた。


驪宮の高みは青雲に達し、雲間から下界のあちこちに風にただようてかすかにとどろく楽の音は、この世のものとは聞かれなかった。緩やかな歌、ゆったりした舞、余韻嫋嫋たる糸と竹の音、君主は尽日看てもあき足らなかった。
かくして貴妃は三十七の誕生日を祝った天宝十四載六月一日。その日からわずか半年後の天宝十四載、十一月九日西暦七五五年十二月十六日、安禄山はついに兵を挙げた。楊国忠を打つことを名目として、まさしく、
    漁陽のせめ太鼓ヘイ鼓地を動もして来る
である。同羅、契丹、奚、室韋などの獰猛をもって鳴る諸部族。しょせん開元・天宝の平安に狎れた中国兵のむかう敵ではなかった。
     驚かし破る霓裳羽衣の曲
その数日前の朝まだき、幣衣の杜甫が、奉先県に疎開させていた妻子を見舞いに通り過ぎたとき、やはり彼の耳に仙楽が聞こえてきた。その一つに霓裳羽衣もあったことだる。杜甫は
     君も臣も留まるりて歓び楽しみ
     楽のこえは動めき殷きてかつかつたり
とのべている。「長恨歌」では
       驪宮の高き処 青雲に入し
       仙楽は風に瓢りて 処処聞こゆ
と。
かくて、 霓裳羽衣の曲 は、漁陽のヘイ鼓の前に風にのってちりぢりに吹きちらされた。
第三段の驪山の豪奢な宴遊のありさまと、それを突如うちやぶるヘイ鼓のひびきとが対照されている。「漁陽」「驚破」の二句は、韻字としてはその前の豪奢な宴遊部分を描写した句と同じひびきの文字を用いているために、意味としては、ここで全く一転して新しい局面に移るのであるが「長恨歌」がうたわれるのをを聞いている聴衆には一連の局面と感取される。意味の継続を音の連続で救い、上を承けて下をひらき、全編のはしがかりとする巧妙な作詞法といえる。
楽しみ極まって悲しみ生ず、長き恨みの端緒となる一段である。