長き恨みの歌物語 (二)

春 寒うして欲を賜う  清の池
 温泉 水 滑らかにして凝脂を洗う
侍兒 扶け起こせども嬌として力無し
 始めて是れ新たに恩沢を承くるの時
雲鬢 花顔 金歩揺
 芙蓉の帳は暖かに 春宵を度る 
春宵 短きに苦しみ 日 高くして起き
 此れ従り君王 早朝せず

歓を承け宴に侍し 閑暇無く
  春は春遊に從い 夜は夜を專らにす 
後宮の佳麗 三千人
  三千の寵愛 一身に在り
金屋に粧い成りて嬌として夜に侍し
  玉樓 宴罷るて酔うて春に和す
姉妹弟兄 皆 列士し
  憐む可し 光彩 門 戸に生ず
遂に天下の父母の心をして
  男を生むを重んぜず 
女を生むを重んぜしむ

春あさくしてまだ肌さむいときである。
皇帝は貴妃に華清宮内の温泉で湯あみの許可をくだされた。
温泉の湯はなめらかに、白さが凝結したような貴妃の肢体を洗った。
こしもとがささえおこしたけれども、ぐんなりと力なく、そのさまは何ともなまめかしかった。
貴妃がはじめて皇帝のおなさけを頂戴するのである。
たかくふんわりとゆった鬢の毛、あでやかにひらいた大輪の花かとまがう美しい顔、
頭上にはゆらめく金かんざし。
芙蓉をぬいとった帳はあたたかく、春の宵はたけてゆく。
春の宵はあやにくも短くて、床から離れるのは、もう日も高くさし昇ったとき。
このときから皇帝は早朝に政務をとることはなくなった。
★ ★ ★
貴妃は皇帝のよろこぶことに先から先へと細かく気をくだき、
皇帝の宴遊にはおそばにつききりで、少しのいとまもなかった。
春は春の遊びにお供し、夜は夜とて一人占め。
後宮にはあまたの麗人がいたけれども、それらの愛情はすべて一人に集まっていた。
黄金の館に化粧がすむと、なよなよとなまめかしく寝所にはべった。
玉の高楼に宴もはてるそのころは、ほんのり酔って春の宵にとけこむようであった。
★ ★ ★
姉も妹も、兄も弟もみな領地を賜り、何ともはや、戸口には後光がさしている。
世間の父親、母親は心のうちでは、息子より娘が生まれてくればよいと思うようになった。

春まだき驪山の華清宮殿、玄宗は貴妃に入浴せよとのお言葉を贈った。特に貴妃のために浴室をしつらえて。なめらかな温泉の湯は、ぬけるように白く、ゆたかにはりつめた貴妃の肌をすべって流れた。侍児が、全身から力が脱けてしまったようでいうことをきかぬ彼女の身体をさえ起こしてやった。貴妃が陛下の愛をいただく時が来たのである。
     雲なす鬢のけ 花の顔 金の歩揺
そして初めて結ばれる日、玄宗は貴妃のために、かって月世界に道士に導かれて遊んだとき採譜して帰った霓裳羽衣の曲を奏して迎え、そして初めて結ばれる夕べ、固めのしるしとして金の釵と螺鈿の合を送り、重ねて黄金の歩揺冠とイヤリングを贈ったのであった。開元も末の二十八年(740)、玄宗五十五歳、貴妃二十二歳、親子ほどもちがう年の差をこえての愛であった。
芙蓉のぬいとりした帳は暖かく、春の宵は度ぎてゆく。春の宵はなんと短いことか。
貴妃を手に入れてからというもの、玄宗皇帝にはそれまでのように早朝まつりごとされることはなくなった。日たかくなってはじめて起きられるのである。一方貴妃は天子の恩寵を受け、遊園にはかならず、春は春の行楽、夜は夜とてお側にはべり、身のひまなときとてない。
貴妃はよく気のつく女性であった。容貌の美しさばかりでなく、受け答えの機敏なこと、玄宗の意をす早く察してむかえるのが巧みであったから、
     後宮の佳麗 三千人ありとも
     三千の寵愛はあつまりて一身に在った。
金づくりの館に、美しくよそおいあでやかにほこらかに夜をまつのである、玉の桜の宴はてて、春そのものの酔い姿。
三人の姉はそれぞれ韓国夫人、カク国夫人、秦国夫人の位をもらった。無学な放蕩者、従弟の楊サは、名を改めて国忠---一国への忠義者---と賜り、宰相の位にまで登った。わずか一女子の身をもって一門に光彩を生じせしめるとは感嘆にたえない。しぜん天下の親たちは、心のうちひそかに思ったことであった。まこと、古来からの言い伝えのごとく、
     男を生みても喜ぶ易れ、女なりとも悲しむ易れ
     君 今 看よ 女 門のウツバリと作るを
このうたは人々の口から口へと伝わり、当時都でのはやり唄となった。

第二段は、恩寵を一人占めした楊貴妃と、つらなる一門の繁栄と、世間のそねみを叙述している。
長き恨みの契機がここに生じた。