長き恨みの歌物語 (一)
漢皇 色を重じて傾国を思う
  御宇 多年 求め得ず
楊 家に女有り 初めて長 成す
  養われて深 閨に在り 人未だ識らず

天生の麗質 自ずと棄て難く
  一朝 選ばれて君王側らに在り
眸をらして一笑すれば 百媚生じ

  六宮の粉黛 顔色無し

漢の皇帝は容色を尊重なさり、ちらりと流し目するだけで
一 国の運命ををも危うくする美女を思慕していた。
御世の長年にわたり探し求めておられたけれど、手に入れる事はかなわなかった。
ここに、楊家に成人したばかりのある娘がおる。
家の奥深く養われていたため、世間の知るところとなっていなかった。
生まれついての麗しい素質はおのずとあらわれでるもので、
とある朝、気づいてみれば、選ばれて皇帝のおそばにはべる身となってあった。
このひとは、流し目ひとつほのかにほほえむだけで、あふれる魅力が生まれ、
ために、後宮の麗人たちの美しい化粧も色あせてみえた。

のちに開元天宝の治とたたえられる玄宗皇帝の帝国はまこと栄えていた。
大唐の春を謳歌する長安の市民たちは、今日も曲江の池畔に遊逸を楽しんでいた。
しかし、肥大した繁栄はみずからの重さをささえきれず、やがてなだれをうって崩壊せねばならない。
そんな時が迫っていた。表面の繁栄のかげに、衰退がじりじりとしのびよっていたのである。
三十年間の久しきにわたる在位と、その苦労に飽きはてた玄宗皇帝は、絶対権力者のだれもがおちいるように、安逸志向へと傾斜していった。
玄宗の場合には、それは傾国---ひとたび笑めば国を傾け尽くさせる、美女---探求のかたちをとってあらわれた。
玄宗の御宇(あめがしたしろしめすこと)は多年にわたったけれども、かような美女はいまだ手にいれられなかった。
しかし、求める美女は遂にいた。
蜀州の司戸、楊の娘で、成人したばかりゆえ、かつ、屋敷のうち深く育てられたため、他人に知られなかったのである。その人の名は楊玉環。

天より生せし麗しき質は、つつみかくせども自ずとあらわれ棄て難く
一朝、ふとある朝きがついてみると、
選ばれて君主の側らにはべる身となって在った。

一笑百媚にあたる彼女の麗質の前には、六つの宮殿の官女たちの化粧も、ために色あせてみえた。
彼女は一度女道志となり、楊太真と名のってから入内した。
長き恨みの歌、開幕の第一段である。出身のいやしい楊貴妃が、そのたぐいまれな容色によってとりたてられ、玄宗の寵愛をもっぱらにするしだいがえがかれる。長き恨みの種がここにまかれた。